S.H.U.のお話をすこし。
前回GYMRATSについて触れたからね。
自分MUЯのバスケットボールの原点はふたつ。
ひとつ目は
自分の内側に芽生えた興味。高校のときには陸上部だったけれど、それよりも徐々にバスケに熱中しはじめた。市川(NORI)という今でもよくつるむ親友と、地元のストリートコートで1on1だらけの日々。
たまには他のプレイヤーも交えてできたけど、あまり人の居ないコートと時代だったのか、基本はそいつと俺の1on1。でもまるで飽きずにホントずっとやってた。日が暮れるまでどころじゃない。夜9時過ぎるまで、飲んだジュースの空き缶を積みあげてやってた。土のコートだったから、おわったら二人とも土木作業をしたみたいに土埃にまみれてた。
高校生はこういうトコがあほでいい。ちなみに二人とも陸上部だったんで、バスケは素人。
ど下手、そして愉しかった◎
ふたつ目は
外側=社会にも働きかけはじめたこと。とはいっても基本は自分たちが愉しむことだったけどね。そしてこのスタンスは今も変わっていない。
身の回りからじわじわと楽しみの波紋を拡げていければいい。そのとき届くとこまででいい。
その想いは自分や自分たちの原点だ。
自分たちといったのは、これが
S.H.U.。

大学のときにも自分たちが好きなかたちで遊びたかったし、バスケをしたかったから妙なコミュニティを自然形成していたが、そいつらが起点となって産声を上げた。
バスケを核として面白いことをやろうと企んだ。
そしてはじめてみたら、そこでの出会いなどをきっかけにどんどん面白い奴らが集まった。
盟友という感じの、今のバスケシーンを牽引するような奴らとの縁もたいていはそこで生まれた。
『毎週日曜日の午後に、代々木公園の並木通りにフープを建てる』まだ代々木公園のバスケットコートができる前の話。
1年ちょっと続けたこのシンプルな企画をきっかけに、思いがけないほど愉快な事態がみるみる発展していった。色んなことが成し遂げられた。
だいち(大致)、マット、俺の3人で、ほぼ期を同じくしてはじめた映像主体のメディアクルー・MOL filmsのもたらしたものも大きかった。そしてそれはその後メンバー各々の武器としても好作用していった。
S.H.U.とはもともとこの企画のための名前だったけど、今ではそれを通り越してなによりもくつろげる仲間達の呼び名になっている。
いまS.H.U.は外向きの活動はしておらず、たまにインナーパーティを開くクラブチームのような状態だが、みんな変わらず元気にやってるみたい。俺やだいちのように、広い意味でのバスケ業界活性化に向けて活動中の奴らもいるかもだし。
代表をさせてもらってる俺が帰ったら、S.H.U.そのものでもまた派手ななにかをやらかしたい。
常に動き続けるものこそ、常に愉しくいられるから☆このカフェにしてもそーだろう。
もちろん納得した上で構わないが、S.H.U.のみんなには何らかのかたちででもここに関わってくれたらって思う。
それに限らず友達衆ももちろんね。
これは少なくとも俺の時間や生活を賭したビジネスだから、シビアに考える部分ももちろんある。
でも俺は忘れないよーにする。
幸せに愉しくやってくことが、なによりクリエイティブ◎By MUЯ